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超高速コンピューター網形成(NAREGI)プロジェクト 分子研リポート2003 | 分子科学研究所

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52 分子科学研究所の概要

超高速コンピュータ網形成(NA R E G I)プロジェクト

「ナノ実証拠点」の概要とミッション

昨年4月より「超高速コンピュータ網形成プロジェクト(NA R E GI)」と呼ばれる国家プロジェクトが国立情報学研 究所を中核としてスタートした。このプロジェクトは「グリッド」と呼ばれる新しい計算機環境を我が国に構築する 目的で5年間の計画で進められている。「グリッド」計算は日本(世界)各地に散在するコンピュータを超高速ネット ワーク(10 ギガバイト/秒)で繋いであたかもひとつのコンピュータであるかのように使うというもので,いわば,広 域分散ヘテロ環境下の「超並列計算」であると考えてもよい。このプロジェクトはふたつのチームから構成されてい る。ひとつはグリッド計算機網のいわば「計算環境ソフトウエア」を整備することを目的に編成されたチームで国立 情報学研究所を拠点(拠点長:三浦謙一)とする。他のひとつは構築されたグリッド計算機環境の有効性を「ナノサ イエンス」の分野で実証することを目的に編成されたチームで分子科学研究所にその拠点(拠点長:平田文男)を置く。

この計算機環境の実現によって,これまで単体で使っていたスーパーコンピュータやパソコンクラスターでは到底 不可能であった計算が可能になることが期待される。同時に,空回りしているマシンを減らして,コンピュータ資源 の有効活用を促進することができる。しかしながら,このような計算機環境の実現はそれほど容易なことではない。異 なるマシンに跨がった計算であるから,当然,異なるコードの変換,異なるマシンを越えたプログラムの並列化,異 なる機関や組織の間のシキュアリティーなど多くの技術的問題を解決しなければならない。国立情報学研究所を拠点 としてすすめられているのはこのようなグリッド計算機網を効率良く動かすためのソフトウエアの構築である。分子 科学研究所を中心とする「ナノ実証計算」拠点はナノサイエンス分野において新しい計算科学の方法論を構築し,そ の方法論に基づく計算を通じてグリッド計算環境の有効性を実証しようとしている。本稿ではナノ実証拠点の概要と ミッションの内容を簡単に説明する。

2-12-1  「ナノ実証拠点」の概要

ナノ実証拠点はナノ分野における方法論の構築と実証計算を任務とする「グリッド実証研究」,ナノ分野の統合プロ グラムの構築に責任を負う「統合ナノシミュレーション」,および,計算機を維持管理することを任務とする「グリッ ド運用」から構成されている。「グリッド実証研究」はさらに,下記の6つのグループから構成される。

(1) 「機能性ナノ分子」(グループリーダー:永瀬 茂(分子研))

ナノ分子の構造,電子状態,反応を量子化学計算で高精度に高速にシミュレーションする理論と方法の開発。 (2) 「ナノ分子集合体」(グループリーダー:岡崎 進(分子研))

溶液中におけるたんぱく質などの巨大分子および分子集合体の構造形成と機能発現の機構を解明するための方法 論の開発。

(3) 「ナノ磁性」(グループリーダー:高山 一(東大物性研))

電子相互作用や電子・格子相互作用の強いナノスケール物質の物性やダイナミクス特性を解明・予測する計算手 法を構築,新奇な機能をもつ素子(高密度磁気デバイスなど)を開発するための研究基盤の確立。

(4) 「ナノ電子系」(グループリーダー:前川禎通(東北大金研))

電子のもつ内部自由度をコントロールして新しい機能を発現させ次世代の新しいエレクトロニクスを構築するた めの物質・材料および素子を開発。

2-12 超高速コンピュータ網形成(NA R E G I)プロジェクト

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分子科学研究所の概要 53 (5) 「ナノ複合系設計」(グループリーダー:寺倉清之(産総研,北大))

第一原理電子状態計算を主たる武器として,量子細線,量子ドット,相分離型合金系のナノサイズドメイン,な どの安定性,形成過程,および物性の解析。それらの素材を組み合わせたものや基板に埋め込まれた複合系の機 能(伝導,光応答,磁性,誘電性,熱的性質,機械的性質)の予測。

(6) 「ナノ設計実証」(グループリーダー:山田知純(旭化成))

NA R E GI で開発された方法論や技術を産業における応用(開発)研究に適用することにより,「グリッド計算」の 産業における有用性を示すことを目的にする。

以上,「グリッド実証研究」の各グループにおいて開発される方法論や計算プログラムは「統合ナノシミュレーショ ン」グループ(グループリーダー:三上益弘(産総研))において統合され,溶液内のたんぱく質から分子エレクトロ ニクス素子までナノスケールの科学のほぼ全分野を網羅する総合的なプログラムとして世界に発信される予定である。 また,ここで,統合されたプログラムは「グリッド研究開発推進拠点」におかれたワーキンググループ(グループリー ダー:青柳 睦(九大))によって,グリッド対応のプログラムに変換され,グリッド環境の実証計算において重要な 役割を演じることになっている。

上に概略を述べた「グリッド実証研究」開発を行うために,総計約 10 テラフロップスの演算能力を有する計算機が

「計算科学研究センター」に導入され,本年3月1日より稼動を始めている。「グリッド運用」グループ(グループリー ダー:水谷文保)はこのマシンの維持・管理とともに,「グリッド研究開発推進拠点」において開発されたグリッド環 境ミドルウエアの導入に対応する。

2-12-2  「ナノ実証拠点」のミッション

何故,われわれは「ナノサイエンス」をこの実証研究に選択したのか? それはナノスケールの現象がこれまで化 学・物理の分野で確立しているいかなる方法論によっても容易には解答を見い出すことができない極めてやっかいな 問題だからである。「ナノ」という言葉で一般にすぐ連想されるのは 10–9(10 億分の 1 メートル)から 10–7(1000 万分 の 1 メートル)程度の精度でコントロールした超微細加工技術であろう。このようなスケールの加工を行うためには 科学的な指針が必要である。そのひとつの候補として考えられるのは19世紀までに確立したいわゆる連続体の力学(弾 性体力学,流体力学),電磁気学および熱力学である。これらの方法論はいわばマクロの側からナノスケールに迫って いく方向であるが,この方向からナノスケールの問題を解決することは不可能である。何故ならば,ナノスケールで は「原子」や「分子」の個性があらわに出てくるからである。連続体をどのように小さく切っていってもそれは「連 続体」に過ぎず,原子や分子の個性は現れない。それは原子や分子の世界が全く別の法則に支配されているからであ る。原子や分子の世界を支配する法則は「量子力学(化学)」であり「力学」である。ここで,敢えて「力学」といっ たのは十分に高い温度や質量が重い系の場合,原子や分子の運動が近似的に力学の法則に従っていると考えても差し 支えないからである。(たんぱく質や溶液の分子シミュレーションはこのような認識に基づいている)量子化学や分子 シミュレーションからナノスケールの現象に迫る方向はある意味では正攻法であるが,そこには別の問題が発生する。 物理的な根拠に乏しい近似や仮定を含まずにこの方向からナノスケールの問題に切り込むには現在の計算機の能力が あまりにも貧弱だからである。いくつかの例を挙げよう。分子の電子状態を信頼のおける精度で計算する方法として 非経験的分子軌道法があるが,この場合,最高の能力をもつコンピュータをもってしてもたかだか数十個の原子から なる分子(数ナノメ−トル)に限られている。しかも溶液中ではなく1個の孤立した分子である。これが例えば酵素

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54 分子科学研究所の概要

(たんぱく質)のような巨大分子(数十から数百ナノスケール)が生体中に存在する場合を考えてみよう。それがどれ ほど膨大な計算量になるかは容易に想像できよう。

典型的なナノテクノロジーとして注目を集めている分子デバイスの場合はどうであろうか。例えば,「導電性」分子 や「半導体」分子を組み合わせて分子スケールの「スイッチ」や「トランジスター」を作るというような技術である。 これらの分子は「分子」といっても,通常,ナノスケールの巨大分子であり,先のたんぱく質の例のように伝統的な 量子化学の守備範囲をはるかに越えている。それではこの問題を固体電子論(いわゆる物性物理)の立場からアプロー チすることができないか? 固体電子論で最もポピュラーな方法はいわゆるバンド理論であるが,この種の理論では 同種,無限個の原子や分子が綺麗に格子上に整列しており,その結果,電子状態が密に縮退して,いわゆるバンド構 造をとっていることを前提にしている。このバンド構造の形態が導電性を決定する。ナノスケールの分子デバイスは いくつかのヘテロな巨大分子を組み合わせたものであり,まず,同種の分子(原子)が綺麗に整列しているというバ ンド理論の前提が成り立たない。さらに,ナノスケールは確かに巨大なサイズであるが,決して「無限個」ではない。 すなわち,ナノスケールではバンド理論の前提そのものが成り立たないのである。結論として,伝統的な量子化学の 方法も固体電子論の方法もナノスケールでは意味をなさないのである。

ここまで主として分子の電子状態に関わるナノサイエンスを問題にしてきたが,ナノスケールで起きる興味深い現 象はそれだけではない。「計算ナノ科学」のもうひとつのチャレンジングな対象と考えられるのは溶液内の「自己組織 化」あるいは分子集合体の形成である。 例えば,生体内における化学反応は「酵素」というナノサイズの分子を触媒と して起きており,酵素機能が発現するためにはたんぱく質が「自己組織化(フォールディング)」してある特異な構造 をとらなければならない。金属が「触媒」としての機能(電子物性)を示すためには金属原子が溶液中で集合してあ るサイズになる必要がある。また,界面活性剤などの両親媒性分子が化学反応の反応場や医薬品として有効であるた めにはそれらが集まってミセルやベシクルなどのナノスケールの分子集合体を形成しなければならない。これらの例 に見られるように,自然界にはナノスケ−ルで初めて機能が発現する現象が数多くあり,これらの集合体ができるた めには,まず,バラバラの分子や原子がエントロピーの障壁を越えて集まる必要がある。しかも,原子や分子がただ 集まれば良いのではなく,例えば,「化学反応」という「機能」が発現するためには,「ナノ集合体」の化学的性質が 原子レベルで制御されていなければならない。ナノ集合体を特徴づけるさらに重要な性質はそれら全部が同じサイズ ではなく,ある平均値の周りに分布していることにある。自然界の化学過程はこのナノ集合体の「構造安定性」と「揺 らぎ」を巧みに使ってコントロールされているのである。そして,ナノ粒子の構造安定性,揺らぎ,および機能はそ の置かれている溶媒環境によって支配されている。このような溶液内分子の自己組織化や分子集合体の形成はある意 味では非常に古い問題で,おそらく,前前世紀から数多くの理論的研究が行われてきた。しかしながら,それらの研 究はほとんどが現象論(熱力学,流体力学,電磁気学)レベルの研究であり,原子・分子レベルの化学的な性質を問 題にするナノサイエンスに対してはほとんど無力であると言わざるを得えない。

ひとつの例としてたんぱく質のフォールディング研究の現状を視てみよう。変性剤の添加によって変性したたんぱ く質がその変性剤を取り除くことによって完全にもとの天然構造に捲き戻ることを示したアンフィンセンの実験以来, たんぱく質の立体構造研究はその生物的神秘のヴェールを剥がされ,物理化学の研究対象としてクローズアップされ ることになった。しかしながら,アンフィンセン以来30年以上を経過した現在,たんぱく質立体構造予測の問題は以 前として未解決のまま人類の前に立ちはだかっているかに見える。腕に覚えのある多くの研究者が入れ代わりたちか わりこの問題に挑戦し敗退していった。たんぱく質のフォールディングのパターンが約 1000 種ぐらいに限定されると いう C hothiaらの提唱もあり,最近では第一原理からのフォールディングはあきらめてたんぱく質の構造パターンの類

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分子科学研究所の概要 55 似性に着目した分類学的手法が脚光を浴びつつある。たんぱく質のフォールディングをこのように難しい問題にして いる本質的要因は二つあると考えられる。ひとつはたんぱく質自身の内部自由度が莫大であることである。主鎖の二 面角(Φ, Ψ)だけを考えても,ひとつの角度あたり最低3状態(ゴーシュとトランス)を考慮する必要があるので,N 個のアミノ酸からなるたんぱく質では,大体(3 × 3)

N

∼ 10

N

個の構造空間をサンプルしなければならないことを意味す る。このことは,もし,単純にひとつひとつの構造を網羅していくとしたら N ∼ 100 程度の小たんぱく質においても 宇宙の年齢(100 億年)をはるかに超えるスーパーコンピュータの計算時間を要し,計算機性能の加速度的な発展を考 慮したとしても,近未来には実現不可能な計算になる。たんぱく質フォールディングにおけるもうひとつの困難な問 題はいわゆる溶媒の問題である。たんぱく質は生体中で単独に存在しているのではなく水やイオンを含む溶液中にあっ てその構造を維持し機能を営んでいる。しかも溶媒である水は最も複雑な液体のひとつであり長年多くの理論家の挑 戦を退けてきたやっかいな物質である。さらに付け加えれば,イオンや炭化水素などの小さな溶質といえどもそれに 対する水の熱力学的応答はそれほど単純ではなく,例えば疎水相互作用に関する研究など溶液論の中心課題のひとつ となっている。たんぱく質のフォールディングはこのようにそれ自身困難な二つの要因がカップルした極めて複雑な 問題であるといえよう。

以上の例で説明したようにナノスケールの問題に対しては従来の伝統的な理論はほとんど無力であり,ナノスケー ルの問題を解明するためには新しい理論を開発するか,あるいは従来の理論や方法をいくつか組み合わせた新しい方 法論を構築することが本質的要請となる。本プロジェクトの「学問的な」意義はまさに従来の理論や方法論の枠組み を越えた新しい方法論をナノサイエンスの分野で構築することである。

ところで,ナノ計算科学にはもうひとつの重要な意義がある。それはナノレベルで発現する様々な機能の解明が産 業や医療などの技術基盤の確立に大きな影響を与える可能性である。ナノ科学のもつこの側面はすでに電子工業への 応用の可能性が「分子素子」や「量子ドット」などの言葉を通じて華々しく報じられているが,もし,これらの試み が現実のものになった場合,測りしれない影響を産業や医療に与えることはもちろんのこと,「トランジスタ」や「ナ イロン」の発明が「固体物理」や「高分子」という大きな科学の分野を作り出したのと同様の効果を学問にフィード バックすることは疑いない。

参照

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